2022年11月5日(土)

 昨夕、職場で事務長に呼びだされて、試用期間の延長を言い渡された。書類の内容をきちんと確認してから捺印しようと心がけていたのに、放心して事務長に指示されるまま<試用期間の延長>について書かれた紙に判を押した。恐ろしいことだが、4月に入職してから9月末まで、わたしの言動は上層部にすべて採点されていたらしい。思考することもままならないまま、なにがマイナス評価だったのかを聞かされた。事務長いわく、わたしの<話し方>だそうだ。話し方? なんとも曖昧な評価だ。<話し方>といっても、それは言葉遣いがわるいということなのか、敬語が不適切ということなのか。それとも声量のことなのか? 質問する余裕はなかった。「上司から指導されてると思うけど……」と事務長が前置いていたが、<話し方>の指導どころか、業務全般において注意されたこともほとんどなかった。早速このことを上司に報告すると、わたしの試用期間が延長になったことさえ承知していなかった。<話し方>が具体的になにを意味するのかもわからなかったが、やはり声量が小さいことではないかという説が有力視された。あまり落ち込まないように、休日はこのことをあまり考えず、月曜からすこし意識すれば大丈夫と上司は慰めてくださったが、わたしは心配されるほど落ち込んでいなかった。むしろ怒りだ。試用期間は9月末までのはずだったので、その延長については10月初旬に通知されるべきなのに1か月も遅れたこと。<話し方>というマイナス評価が曖昧であり改善しようがないこと。権力者が一方的に評価すること。また半年間評価の目にさらされること。ただ、労働者でいたいのならば社会が要請する形に自身を変容させなけばならない、というのは悲しい。

 

抵抗の意思を持って生きるのはすでに苦しいので、それをキープするのは決して「甘い」状態ではない。そして私は、あなたにマジで死んでほしくないと思っている。私やあなたが目的のために不条理に死ぬなら、それは革命ではない。私も死なないようにするから、あなたも死なないでいてほしい。

(高島鈴『布団の中から蜂起せよ――アナーカ・フェミニズムのための断章』人文書院 2022.10)