2021年9月19日(日)

 わたしは黙って絵を見つめ続けた。さっき開いたとき、『村と私』のページが出た。わたしはその絵の中の、白い牛の瞳の真ん中だけをじっと見ていた。今はただ、それだけに意識を集中していろと、自分に命じていた。心臓がどきどきしている。やさしげな白い牛の瞳。どうしてここだけこんなにもあったかいんだろう。この瞳とわたしのまわりの世界の、この大きな違いったら、いったいなんなんだろう。涙が出てきた。

木地雅映子「氷の海のガレオン」講談社 1994.9)

 日記を書いたら奥歯さんのことを思いだした。連鎖的に木地雅映子『氷の海のガレオン』が地元図書館に所蔵されていることを思いだし、いそいそと借りてきた。車で数分のこの図書館は子どもの時分には親に伴われてよく通ったけれど、改築されてからは足が遠のいていた。道中、彼岸花のあかいろが綺麗だった。

 穂村弘の書評集『これから泳ぎにいきませんか』も借りた。印象的なこのタイトルは奥歯さんの言葉から採られたのだそう。ラインナップが案外自分好みだったので文庫版の方を購入しようかしら。木地雅映子『悦楽の園』の書評もよかった。

 感覚の鋭さ、認識の強さ、エキセントリシティ、その全てにおいて彼女を「本物」に仕上げたのは、裡なるモチーフの強度だったと思う。彼女はいつも臨戦態勢にあった。身につけた特殊能力は武器、或いは防具だったのだろう。

穂村弘『これから泳ぎにいきませんか』河出書房新社 2017.11)

 わたしは何事に対しても愚鈍すぎる。もっとはやく、はやく。