2024年5月6日(月)

三角みづ紀『オウバアキル』思潮社 2004.10

救急車には何度も乗った

泣きじゃくる私の

手をとってくれた見知らぬ

彼の

(それが社会の義務だったとて)

ぬくもりを

まだ求めているのかもしれない

(「冬のすみか」部分)

 

ちょうどいい位置に

爪をたてる

恥ずかしげもなく

ねばりつく

真夜中の回想

オウトマチックな記憶

私は

私に

たどりつく

眠りについた太陽が

みるゆめのなかで

世界中の

罪がひそんで

濡れていて

薄らいでいく

私の少年は昨日

一人の男を殺しました

彼は云う、

(いつでも

 戻っておいで)

最終回は

予定されていて

きっと変わらずに

月日は流れ

いつか私の少年

二人目の男を殺す

彼は云う、

(消えてしまえ)

暗闇の安息

水滴の詰問

私は

濡れながら

息をきらし

やがて

私に

たどりつく

この眼だ

この眼をつぶしてしまえばいい

盲目のおんな

甘く噛みつく

何も見なかった

私はあの時何も見なかった

(「アリバイ」)

 あまり使いたいことばではないのだが「病んでいる」と形容するのが適しているのではないか。つまり現代的な軽さがある。書き手にとってはしんじつ苦しい現実が、読み手(というかわたし)には軽く思えるのはなぜだろう。比較するものでもないが、シルヴィア・プラス二階堂奥歯の文章を通過しているからかもしれない。でも引用した詩はよかった。県立図書館で現代詩文庫をぱらぱらと読んで圧倒された詩はどれだったのだろう。第1詩集には含まれていないのか?