2023年8月12日(土)

 いつからこんなことになってしまったのかわからないが、わたしは併読冊数が多い。じぶんの部屋からリビングまでの距離は、トートバッグに常に8~9冊の本を入れて移動している。併読することにより、小説だけでなく詩や短歌、俳句、人文系などの複数ジャンルに毎日触れられるのが良い。と思っていたのだが、集中的に1冊の本を読むわけではないので読了までに長い時間を要するのは、飽きっぽいわたしには向いていなかったようだ。

 お盆休み(5連休)ですこしでも併読冊数を減らそうと思い、初日は笹井宏之『てんとろり』とマリー・ローランサンの関連書を読了した。そしてきょうは朝から日が暮れるまで『吉原幸子Ⅲ』を読んでいた。

その年は

夏も 病んでいた

 

さびしい海辺の 農家の裏庭

葉かげに 病気の猫のようにうずくまる

あんな大きな紫陽花を

見たことはなかった

 

友も 病んでいた

花に驚くことをさえ 拒み

花を美しいと思うことにさえ

自ら 抗って

唇をゆがめて笑うしかない

病気の猫のような女だった

美しいものを恐れるあまり

いちばん望まないことをしか できなかった

 

友は 間もなく

人生から逃げた

 

電気花火の白い光が

農家の裏庭を照らした夜

葉かげに

見知らぬ生きもの フォルマリン漬けの脳標本のように

紫陽花は うずくまっていた

(吉原幸子「紫陽花」『吉原幸子全詩Ⅲ』思潮社 2012.11)

 夕方くらいになると詩を読むのが難しくなった。