2021年4月7日(水)

 佐藤信夫によれば「言語」とは「自分の内部の他者」であり、アルチュール・ランボーによれば「私」とは「一つの他者」なのだそう。では「ことば遊びをする私」とはなにか。それは近しいもの同士の戯れを傍観し、その自律性を見守ること。いざとなれば彼らと刺し違えるのだという覚悟を持ち、その最期を見届けること。

 しかし「言語」と「私」はわたしに近しいものだといえるのだろうか。

 見者であらねばならない、自らを見者たらしめねばならない、とぼくは言うのです。 

アルチュール・ランボー「見者の手紙」湯浅博雄 海外詩文庫 1998.12)

 

2021年4月6日(火)

 生まれてから22年も経つというのに、適切な1人称が見つからない。俺は論外、僕はまだしもぼくは甘い感傷、私はわるくはないけれど。いつか性別を捨て、肉体を脱ぎ、記憶を洗い、透明(なIでもないなにか)になれたらいい。「自分」というのが最もしっくりくるのだけど、これはときどき使い勝手がわるい。かつての同級生のなかには「うち」「me」「小生」「〇〇(名字)」を使うひとがいたことを思い出す。

 昨夜のうちに書き直した手紙を投函した帰り、届いた本をコンビニで受け取った。その冊数と金額のわりには本の詰まった箱が軽く、騙されたような気分になる。それからコンビニとアパートの中間地点にある陸橋の下で蝶と衝突しそうになり、慌ててよけた。現実世界のあの生き物をうつくしいと思ったことがない、などと書いたら蝶愛好家兼収集家兼標本士に叱られるだろうか。

 購入したのはアンナ・カヴァン『ジュリアとバズーカ』『あなたは誰?』で、どちらも文字のサイズが大きくないので安心した。『われはラザロ』はサイズが大きく、文字は読み取れるのに意味は読み取れないことが多々あって難儀した。他には佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』の新装版。手に入ってうれしい。それから多和田葉子ヒナギクのお茶の場合|海に落とした名前』。最初の短編が列車もので驚いたが、そういえば「かかとを失くして」も主人公が列車から降りようとする場面から始まるのだった。

  長距離列車の窓は、書斎の窓とは違っているので、窓の外の樹木をじっくり観察することなどできない。樹木たちはみんな後方へ全速力で駆けていく。(中略)でも、それが白樺であって桜でないと分かっても、むこうには、わたしが女なのか男なのかということさえ、分からないに違いない。わたしなんか、駆け抜けていく鉄の箱の中に置き忘れられた肉の塊のひとつに過ぎない。

多和田葉子「枕木」『ヒナギクのお茶の場合』 講談社文芸文庫 2020.8)

 わたしも樹木たちからしたら肉の塊。性別はない。それに貯金もない。食費を削る。

列車

 大学で国試関連のガイダンスに出席し、朦朧とした頭で模擬試験(のようなもの)を受ける。教室の暖房が効きすぎていたし、人が大勢いた。解答と照らし合わせてみたら正答率は五割を下回っていた。それから附属図書館で岩波新書の『女性俳句の世界』を借りたかったけれど、館内を覗いたら明かりがついておらず、誰もいなかった。残念だけれど断念し、ふらふらしながらアパートに戻る。身体が重い。

 夕方、踏切の警報音で眠りが遠のいた。それからすぐに電車が通過し、大きな音を立てて遠のいていった。わたしの暮らすアパートは線路の近くに位置しており、窓を開けながらテレビを観るには適さない。午前のガイダンスがよほど疲れたのか頭が痛いのでアダムを飲んだ。イブとバファリンを試しに服用したこともあるが、効き目はいまいちだった。成分はほとんど変わらないはずなのに不思議。

 なにをするにも面倒で、手近にあった本をパラパラとめくった。すばる1月号(2021)、これにはシルヴィア・プラスの短編が掲載されている。

「あなたはわかってない。この汽車に乗ったのはあたしのせいじゃないのよ。あたしの両親なのよ。あの人たちが行けって言ったのよ」

「 でもご両親があなたの切符を買うのを、あなたは黙って見ていたわけでしょう」女性は執拗に言った。「両親に列車に乗せられても、文句は言わなかったんでしょう? あなたは受け容れた。あなたは反抗しなかったのよ」

「それでも、あたしのせいじゃないわ」メアリは激しい口調で叫んだが、女性の目はじっと彼女に注がれ、青いまなざしが非難を次々に浴びせてきて、メアリは自分がだんだん沈んでいくのを、恥に溺れていくのを感じた。列車の車輪の揺れが、破滅の運命を彼女の脳に叩き込んだ。

シルヴィア・プラス「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」柴田元幸 集英社

 文学的な評価であるとか、文学史における重要性であるとか、そういったことはわたしには関係のないこと。いつになるとも知れぬ短編集の刊行が待ち遠しい。

  列車の連想から、多和田葉子「ゴットハルト鉄道」とシャーリイ・ジャクスン「レディとの旅」も再読した。後者は創元推理文庫の『なんでもない一日』に収録されている、とてもキュートな話。いつの間にか頭痛が治っていたので、これから手紙を書き直して眠る。