2021年4月7日(水)

 佐藤信夫によれば「言語」とは「自分の内部の他者」であり、アルチュール・ランボーによれば「私」とは「一つの他者」なのだそう。では「ことば遊びをする私」とはなにか。それは近しいもの同士の戯れを傍観し、その自律性を見守ること。いざとなれば彼らと刺し違えるのだという覚悟を持ち、その最期を見届けること。

 しかし「言語」と「私」はわたしに近しいものだといえるのだろうか。

 見者であらねばならない、自らを見者たらしめねばならない、とぼくは言うのです。 

アルチュール・ランボー「見者の手紙」湯浅博雄 海外詩文庫 1998.12)