2021年4月6日(火)

 生まれてから22年も経つというのに、適切な1人称が見つからない。俺は論外、僕はまだしもぼくは甘い感傷、私はわるくはないけれど。いつか性別を捨て、肉体を脱ぎ、記憶を洗い、透明(なIでもないなにか)になれたらいい。「自分」というのが最もしっくりくるのだけど、これはときどき使い勝手がわるい。かつての同級生のなかには「うち」「me」「小生」「〇〇(名字)」を使うひとがいたことを思い出す。

 昨夜のうちに書き直した手紙を投函した帰り、届いた本をコンビニで受け取った。その冊数と金額のわりには本の詰まった箱が軽く、騙されたような気分になる。それからコンビニとアパートの中間地点にある陸橋の下で蝶と衝突しそうになり、慌ててよけた。現実世界のあの生き物をうつくしいと思ったことがない、などと書いたら蝶愛好家兼収集家兼標本士に叱られるだろうか。

 購入したのはアンナ・カヴァン『ジュリアとバズーカ』『あなたは誰?』で、どちらも文字のサイズが大きくないので安心した。『われはラザロ』はサイズが大きく、文字は読み取れるのに意味は読み取れないことが多々あって難儀した。他には佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』の新装版。手に入ってうれしい。それから多和田葉子ヒナギクのお茶の場合|海に落とした名前』。最初の短編が列車もので驚いたが、そういえば「かかとを失くして」も主人公が列車から降りようとする場面から始まるのだった。

  長距離列車の窓は、書斎の窓とは違っているので、窓の外の樹木をじっくり観察することなどできない。樹木たちはみんな後方へ全速力で駆けていく。(中略)でも、それが白樺であって桜でないと分かっても、むこうには、わたしが女なのか男なのかということさえ、分からないに違いない。わたしなんか、駆け抜けていく鉄の箱の中に置き忘れられた肉の塊のひとつに過ぎない。

多和田葉子「枕木」『ヒナギクのお茶の場合』 講談社文芸文庫 2020.8)

 わたしも樹木たちからしたら肉の塊。性別はない。それに貯金もない。食費を削る。