2022年11月21日(月)その2

 宮地尚子『傷を愛せるか』のちくま文庫版を読み終えた。このエッセイは

 娘がまだとても幼いころ、外出先で階段から転げ落ちたことがあった。少し離れたところにいたわたしは、落ちていく姿をただ見つめていた。ただ黙って、目を凝らしていた。静かに。動くことなく。はたからは冷たい母親だと思われたかもしれないと、あとで思った。母親だとふつう、パニックになって叫んだり、あせって駆け寄ったりしそうだからだ。

宮地尚子『傷を愛せるか 増補新版』ちくま文庫 2022.9)

という文章から始まる。なにもできず、たとえ無力であっても、相手を見ること。目撃者になること。それだけで誰かにとっての救いになることもあるのかもしれない。たとえば、誰にも見られずに死んでゆくひとの多いこと。

 精神科医であり、トラウマ研究の第一人者によって書かれたという情報から、読み始める前は、臨床経験に基づいて人間の内面に迫る動的なエッセイなのだと思っていた。実際は、旅や過去の記憶の淵から零れ落ちた要素をすくって思索する静的なエッセイだった。共感する箇所も多く、好ましく思った。

 

 

 では、攻撃にさらされないように、攻撃されても傷つかないように、「鎧」を何重にもまとえばいいのだろうか? また、「鎧」を何重にもまとう方法はほんとうに有効なのだろうか?

(同上)

 けれど、どれだけ「鎧」を重ねて過剰防衛をおこなっても、人間は、生物は、社会はヴァルネラビリティから逃れられはしない。つねに未来は不確実なままであり、心配や不安をなくすのは不可能であり、一〇〇パーセントの安全はありえない。(……)医療文化はそのヴァルネラビリティを受け入れ、慈しみながら、同時にそれと闘いつづける必要がある。弱さを克服するのではなく、弱さを抱えたまま強くある可能性を求めつづける必要がある。

(同上)

 わたしは強くなりたくない子どもだった。学校の教師や部活の先輩から「メンタルを鍛えること」を説かれるたび、強さへの志向からは遠のいていった。おそらく、強くなることは鈍くなることと同義だと考えていたのだ。鈍重になることで何事にも心を動かされなくなるよりも、柔らかさゆえに傷ついたとしても鋭敏でありたかった。その気持ちは今でも変わらない。

 

 

 傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生き続けること。

(同上)

 他者が抱える傷であるならばまだしも、わたしの傷をわたしは愛せないだろう。自己愛というぬかるみに浸かるのは忌避すべきことだからだ。けれど、その<傷>=<弱さ、ヴァルネラビリティ>と互換可能であるのなら? わたしはそれを、見つめることはできる。受け入れ、愛さずとも慈しみ、目を逸らさずに闘うこと。

 傷を愛せないわたしを、あなたを、愛してみたい。

 傷を愛せないあなたを、わたしを、愛してみたい。

(同上)