2021年4月16日(金)

 『女歌の百年』(道浦母都子/岩波新書)を読み終えた。紹介されている歌人俵万智水原紫苑米川千嘉子与謝野晶子、山川登美子、茅野雅子、九條武子、柳原白蓮原阿佐緒、三ヶ島葭子、岡本かの子中城ふみ子、齋藤史、葛原妙子、河野愛子、森岡貞香、馬場あき子、山中智恵子、阿木津英などで、歌とともに生涯を知ることのできる良書だった。

 「恋」「愛」「妻」「母(母性)」などの要素から離れたものを探すことを目的にしていたのだけど、そういう歌は少ないし、読み進めていくうちに失念してしまっていた。要素には囚われない方が良いのかもしれないね。それに、愛のうたも悪くない。

 以下は備忘録。

柳原白蓮

世の中のすべてのものに別れ来しわれに今更もの怯ぢもなし

 

原阿佐緒『涙痕』より

生きながら針に貫かれし蝶のごと悶へつゝなほ飛ばむとぞする

 

中城ふみ子

冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか

メスのもとひらかれてゆく過去がありわが胎児らは闇に蹴り合ふ

 

中城ふみ子『乳房喪失』あとがきより

 内部のこゑに忠実であらうとするあまり、世の常の母らしくなかつた母が子らへの弁解かも知れないが、臆病に守られる平穏よりも火中に入つて傷を負ふ生き方を選んだ母が間違ひであつたとも不幸であつたとも言へないと思ふ。ただどの頁をひらいても母の悲鳴のやうなものが聴えるならば、子供たちは自づと母の生を避けて他の明るい土の上で生きる事であらうか。

 

齋藤史『ひたくれなゐ』より

死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも

 

森岡貞香『白蛾』より

力づよく肉しまり來し少年のあまゆる重みに息づくわれは

 

山中智恵子『みずかありなむ』より

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて

 

阿木津英『紫木蓮まで・風舌』より

唇をよせて言葉を放てどもわたしとあなたはわたしとあなた

 

 それにしても歌集の入手しづらさには舌打ちしたくなる。